涙を流しながら「ありがとう」と言ってもらえる仕事はそんなにあるものじゃない。利用者様から受け取った感謝の言葉で、もっとこの仕事を広めたいと思った。

――経営者にも、段階があると考えています。今、青木社長は、現場をしっかり構造化して現場スタッフに運営を任せ、社長ご自身は世界を視野にビジネスを展開しておられます。

どのあたり、どのタイミングで海外、外に関心が向かっていったのでしょうか。当初は現場のこともしていたと思うのですが。


青木:最初、会社を立ち上げて3年くらいは、ひたすら現場と向き合っていましたね。

名古屋は平成21年オープンですが、平成24年くらいまでは、上下ユニクロのジャージを着て現場で仕事をしていました。

当時の僕を、今の僕しか知らない人が見たら、びっくりすると思います(笑)。

毎日現場で、勉強でした。異業種から入ったので「介護」がまずわからなかったから。本を読んで勉強したり、スタッフから教わったり、マネージメントをしたり、日々の業務改善をしたり…いろいろ、散々やりました。

最初の3年くらいはヘルパー業務を中心に、レセプトを始めとした事務方も全部やっていました。

あとは現場のお手伝い、指導監査の対応…マネージャーが僕一人しかいないんですよ。誰も仕切る人がいない。


――それは、経営をされながら?


青木:経営しながら。当時は事務も経理もいなかったので、夜は弥生会計で僕が入力作業するんです(笑)。

だから、最初の頃は1日のうちずーっと、現場で肉体労働するか、家で経営管理するか、現場の事務所に閉じこもって事務作業していました。

要するに、全部、仕事ですね(笑)。


――1号店で、そんなご苦労をされていたのですね。そして3年くらい続けられて・・・


青木:そうやって苦労して、ようやく1号店が軌道に乗ってきたときの、忘れられないエピソードが一つあるんです。

あるご利用者様のおばあちゃんが、98歳で亡くなられまして。僕らスタッフが一生懸命サービス提供して、最後はとても安らかに眠って逝かれたんです。

おばあちゃんがご臨終になった瞬間に、スタッフから僕に電話がかかってきて、すぐ車で施設に駆けつけました。

朝4時くらいでした。その時は既に親族の方がいらっしゃって枕辺で泣いておられたんですが、僕がご愁傷様ですと声をかけましたら「本当にありがとう」と感謝されたんです。「かざぐるまさんでおばあちゃんを看取ってもらえて、本当に良かった」と。

その時にね、何とも言えない気分になりました。「エンドユーザーにここまで感謝される仕事って、無いよな」と気付いたんです。そして、この仕事の良さをもっと世間に広めなきゃいけない、と思ったんです。


――今の青木社長につながる、きっかけの原点ですね。これを広めなきゃいけない、という。


青木:そうですね。面と向かって涙を流しながら「ありがとう」と言ってもらえる商売は、なかなか無いと思いました。

次第に、順調にそういうご利用者様が増えて1号店は満床になりました。

当時僕は、店舗の拡大展開を自分からしようという考えはなかったんですけれど、周りの声が後押ししてくれたんです。

それで求められるままに、2店舗目、3店舗目と開業していきました。

狭い介護事業所の中から、少しずつ視野を広げて。様々な業種の経営者との出会い、横浜での開業、そして――世界へ!!


青木:開業してから現場でずっとやってきたので、社長業がほぼ何もできていなかった。

これはまずいだろうということで、2店舗目を作った後くらいから社長業に集中するために、自分の右腕と左腕になる人材を作りましょうという話になって、そこからしばらくは人づくりに没頭して、自分は現場から少しずつ離れていきました。

当時、ちょうど訪問看護ステーション開業が周りでブームになりつつあったんですが、あるケアマネージャーさんに直接言われたんです。

「かざぐるまさん、なんで訪問看護やらないの?」って。「いいじゃんべつに、うち看護師いるから」って、わけもわからず返答していました(笑)。

訪問看護がどういうものかは、後から知りました。

それで、色々ネットで調べていたときに御社の社長のブログをたまたま見て、すごい人がいるなあとメールを一通送ったのが、インキュベクスの上村社長(当時)にお会いしたきっかけです。

第3回に続きます。 (10月10日更新予定)


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